休日の昼下がりです。

振り返ってみると、幼い頃からすぐそばに「きもの」がいた。。。

それは、華やかさを持たない日々暮しの中のきもので、労働着でした。父は帰宅すると、きものをまとった。祖母をはじめに・伯母・母もきものまとい人であったためか、きもののたたみ方やお太鼓結びや貝の口は、馴染み深いものでした。

普段着のきものは悉皆屋には出さずに、きものを解き、板に張ったり、伸子針を使ったりしていました。女性たちはその家の伝統的なやり方で、きもののメンテナンスをされていたのでしょうね。今になって残されたきものを見ると、丁寧な仕事に、驚かされます。

布は命」だったのでしょう!

衣食住のなかの「衣」のお話です。

「食」も素朴でしたが、親が手間暇かけてくれました。近年兄が「当たり前と思っていたが、今はとても贅沢なことをしてもらっていた!」と呟いた。同感! 親がいなくなってからの、会話でした・・・。

「住」も、暮の大掃除をはじめ、毎朝食事前に箒ではいてから、食していた。暑い時は、窓を開け放ち簾が掛けられて涼感があった。

お手伝いをすると、お駄賃をもらった時のうれしさは忘れられません。テレビをはじめ電化製品がなく、穴のあいた靴下はすぐに繕くろわれました。それは当たり前の事と思っていました。

当時に感じた親の愛と、後年になって感じた愛が、今、交錯しています。

昔、TVからの「親孝行したくない時親がいる」に爆笑したのですが、今は本心から「親孝行したいときには親はなし」の、心境でございます。。。

きものが、親と思い出を呼び起こしてくれました。

 

 

最近、以前のようにあちこちを徘徊する私に、戻りつつあります。おもしろいものを、たくさん吸収したいと思っております。。。